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2018年12月23日日曜日

【病状】脳梗塞発症後1ヶ月が経過

 脳梗塞発症後、1ヶ月が経ちました。急性期病院で約20日、リハビリ病院で約10日です。
 現在の症状としては、三日ほど前から杖なし歩行が出きるようになりました。リハビリの療法士さんたちの熱心な対応と、自主トレ、日にち薬など、色々な効果でなんとか歩けるようになりました。
 しかし、今ひとつ気分が晴れません。歩くとは出来ても、頭がクラクラしていて、目標の社会復帰までは、まだまだのような気がします。めまいと復視は、全く改善していない感じです。
 めまいと復視は自分にとっては重大ですが、他人から見てもわからない症状です。もし、この症状が回復しない場合、この状態で社会復帰しなくてはならないことになります。
 この状態では仕事の効率も落ちるでしょうし、運転や趣味も制限されると思います。
 「起こってしまったものは仕方がない」と思いつつも、不安を抱えるこんにちです。

2018年12月11日火曜日

【病状】リハビリ病院に転院

 動脈解離による脳梗塞でワレンベルグ症候群を発症し、19日間の急性期入院を終えて、回復期リハビリ病院に転院してきました。
 最初に、病院のルール、リハビリの説明と同時に、医師の問診があり、入院期間の目安や、どの程度まで回復を目指すかについて、話し合いがありました。
 私の目標は社会復帰であり、満員電車で通勤出来ることが一番で、それ以外にも、車やバイクの運転、ソフトバレーが出来ることを上げました。しかし医師の反応は運転やスポーツについては、ちょっと難しいかもといった感じでした。それでも、私はやってみないとわからないという思いでした。

 リハビリのスケジューリングについては、少々がっかりしました。私が想像していたのは、リハビリ病院は急性期病院と違い、一日中カリキュラムが組まれているものと考えていました。しかし、実際には急性期病院でのカリキュラムと殆ど変わりませんでした。一日に2セットから3セットのマンツーマンがあり、それぞれ40分~1時間で、それ以外は空き時間となります。リハビリ室でトレーニングマシーンを自由に使えるわけでもなく、自主トレということになります。
 少々がっかりしましたが、仕方がないので、空き時間の使い方について考えました。歩行器で歩くのは勿論ですが、右手と目のトレーニングとして平仮名の練習を始めることにしました。また、頭の体操でナンプレも用意しました。

 病院内での行動について、看護師さん、理学療法士さんを交えて取り決めることとなりました。病院内で一人で歩くときは、歩行器を使うことになりました。急性期病院では車椅子でしたので、その点は良かったです。また、トイレについては、日中は一人で自由に行っても良いのですが、夜間は看護師さんを呼ぶように言われました。私にとっては、これは結構苦痛です。

 現時点での症状としては、急性期病院で初めてリハビリを受けたときより少し改善している程度で、杖なし歩行は殆ど出来ません。その他、めまいと復視で頭がクラクラし、読み書きは大変です。手足の麻痺の状態もほぼ以前と変わらずです。

 こんな状況で、今日からリハビリ病院での生活がスタートです。

2018年12月10日月曜日

【病状】急性期の経過(若年性脳梗塞)

 11月23日に突然の脳梗塞で入院し、SCUで急性期治療を受けていたのは2週間でした。その間の回復は急速でしたが、途中しゃっくりに悩まされる時期もありました。この急性期の経過について、述べていきたいと思います。

 最初の2日間は寝たきりでした。3日目には体を拭いてもらい、車椅子にも乗れるようになりました。それまでは入院時に着てきたシャツを着替えることもなく、口から水分を取ることも出来ませんでした。また、目を開けると天井がぐるぐると回っていたので、殆ど目を閉じていました。

 3日目からは少しずつ口から水分を取るようになり、流動食も試すことになりました。赤ちゃんが食べる離乳食のようなもので、決して美味しいものではないはずですが、二日間何も口にしていないと、それが感動的に美味しく感じました。そして4日目にはきざみ食を食べられるようになりました。
 最初の二日間は、嚥下障害で唾を飲み込むことも出来ず、眼振で目を開けることも出来なかったことを思うと、ここまでは急速に回復したと思います。

 4日目には、カテーテルで血管の検査手術を行ったので、5日目は安静にしてましたが、6日目から理学療法のリハビリが始まりました。
 この時の症状は、つかまるところがあれば立つことや歩くことも出来ましたが、頭がクラクラで手放しでは全く立てない状態で、座っていても体が右に傾く状態でした。
 この時くらいになって、やっと自分の病気の重症度に気づき、本当に歩けるときが来るのだろうかと、心配になり始めました。

 その後、急性期の2週間を毎日リハビリを受けながら過ごし、歩行器を使って歩けるくらいまで回復してきました。リハビリスタッフの方々は、「すごいね」とか、「早いね」とか言ってくれるのですが、自分の中ではどれだけほめられても嬉しくはありませんでした。

 2週間が過ぎて一般病棟に移り、病院側から回復期リハビリ病院に転院するよう勧められました。妻と相談し、自宅からなるべく近くで空きのある病院に転院することになりました。

2018年11月23日金曜日

【病状】初めての入院(若年性脳梗塞)

 平成30年11月23日、3連休の初日でした。午前3時頃、自宅で寝ていたところ自然に目がさめました。テレビでも見ようと思い起き上がろうとしたところ、体がふらついて立ち上がれない。自分でも経験したことがないふらつきでしたが、これまで大きな病気をしたことが無い私は、単なるめまいだと思い、朝になったら消えてるだろうと考えもう一度横になって眠りました。
 朝7時頃、目が覚めて再度起き上がろうとしましたが、症状は変わっていませんでした。床や壁、手すりなどを伝って、一階のリビングまで歩いていきました。妻が私の姿を見て、メニエール病かなと思いつつも休日診療の救急病院を探してくれて電話をしてくれました。その時は、自分に何が起こっているのか分からず、とにかく意識、言語はしっかりしていたので、救急車を呼ぶほどでもないと考え、妻に運転してもらい自家用車で病院に向かいました。
 病院に着くとすぐ問診を受け、バタバタとMRIなどの検査をうけました。検査の結果はすぐに知らされ、解離性動脈硬化による脳梗塞ということでした。そして、そのまま入院することとなり、期間を尋ねると2~3週間と言われました。
 その後、SCU(脳卒中集中治療室)の病室に運ばれ、看護師さんから色々と話を聞きました。まず、2~3週間というのは、この病院で急性期治療としての処置を受ける期間であり、通常はこの処置が終了した後、回復期リハビリ病院に転院し、そこでの入院期間は病状や回復具合によって異なるということでした。2週間と聞いた時点で、仕事の心配が頭をよぎっていたのに、数カ月に及ぶ入院が続くと聞き愕然としました。
 看護師さんから話を聞いている間、意識ははっきりしているものの、目は開けられず、声もほとんど出ない状態です。それでも、まだ脳梗塞という病気の怖さを知らずにいた私は、そのうち元の体に戻るだろうと気楽に考えていました。それよりも、3連休に予定していた行事のキャンセルや、会社の上司への連絡が心配になり、自分ではできそうにないので、妻に内容を伝えて代わりに連絡してもらいました。

 この時の症状は以下のような状態でした。
・眼振、めまいのために目を開けると気分が悪くなる
・声はかすかに出る程度
・嚥下障害によりつばも飲み込めず、水を飲もうとするとむせ返す
・左手足の温痛覚麻痺
・右手足がコントロールしにくい
・顔面の右側がしびれて、かつ右目が開きにくい

 このような症状があったため、鼻から胃への管が通されて栄養分は直接胃に流し込まれ、右手には点滴、また体には心電図の測定器が装着されていました。そして、ベッドから起き上がることや座ることは禁止で、口からの食事はなし、尿はしびんで処理するという、初めての入院生活が始まりました。